<コラム4> 2011.5.1


旅の記憶

法眼裕子

 

 東日本大震災では東北を中心に甚大な被害が生じたが、私が住む茨城県南部でもブルーシートをかけた屋根があちこちに見られ震災の爪痕の深さが感じられる。亡くなられた方のご冥福を祈るとともに被災された方々に早く平穏な生活が戻ってくるよう願うばかりである。

 

 と、大震災について触れると沈痛な思いが胸に広がるが、今はそれ以外のことを書く気にはなれないのは確かだ。ただ、せっかくなら大震災を機に思い出した一つの懐かしい記憶を辿ってみたい。

 

 私は一人旅が好きでよく出かけるのだが、実は小心者なので予め計画を立てておかないと不安になる。しかし、時には無謀な旅をしてしまうこともあり10年ほど前の夏もそうだった。その頃、急に東北に行きたくなり、休みを数日もらって何の計画もなしに北に向かう長距離列車に乗り込んだ。終着駅の仙台に着いたのは深夜だったので駅近くのホテルを探してすぐに布団に潜り込み、次の日からは松島や山寺などの名所を巡り歩いた。そうやって数日は無計画ながらも順調に観光を満喫して過ごした。

 

 そして、休暇が残り少なくなったところで鄙びた温泉街に向かったのだが、その日は電車の乗り継ぎが上手くいかず駅に着いた頃には辺りは真っ暗に。改札を出ると駅の電気は消され、駅前の店や宿の戸は固く閉ざされておりウロウロと歩き回るが人の気配がまるでない。焦りと不安が募ってきた時、ちょうど目に入った宿の木戸から光が漏れているのを見つけたので、藁にもすがる思いで「すみません!泊めて下さい!」と大声で木戸を叩いた。すると、出てきた宿のご主人は困り顔だったが最後には「飛び込み客は受け入れてないけど女性一人を外に置いておけないから。」と中に入れてくれた。緊張が一気に解けた瞬間だった。ご主人からはお説教をいただいたが不審者まがいの旅行者を受け入れてくれた深い人情が心に沁みて涙が出そうだった。湯治に来たというおばあちゃん達とも温泉に浸かりながら色々な話をしたが、私の無謀な旅の話を皆、優しく笑ってくれた。

 

 帰宅後、慌しい日々の中に埋もれてしまっていた記憶だったが、今、あの旅で出会った人達はどうしているだろうと気になる。近いうちにもう一度、東北に足を延ばしてみたい、そして今度はあの時もらった優しさを贈り返せたらと思う。