<コラム5> 2011.6.1


シカゴとウィスコンシン大学での記憶のかけら

伊藤義美

 

 この時期は日本では梅雨が近いが、ウィンディ・シティといわれるシカゴは爽やかで快適な季節だろう。ミシガン湖には、夏に向けてボートやヨットが多数浮かぶことになる。今から18年ほど前、私はシカゴ大学にいた。当時ハワイ大学に留学中の安部恒久氏は飛行機で、クリーブランド・ゲシュタルト研究所に留学中の木村易氏は自動車でシカゴにやってきて合流した。シカゴにフォーカシング研究所があり、研究所がシカゴ郊外で主催したフォーカシングのワークショップに参加したのである。私たち日本人は、ワークショップでの余興で英語の仮面劇を行った。木村氏の奥様が仮面をつくってくれたのだ。ワークショップのあと、シカゴ美術館、水族館、博物館などを見学し、「日航」で久しぶりの日本食を楽しんだことが思い出される。シカゴではエンカウンターグループやチェンジズはもはや行われていなかった。だが、その年の冬から研究所で、チェンジズと称してフォーカシング=リスニングの会が行われた。その後フォーカシング研究所はニューヨークに移転した。

 

 ロジャーズさんのゆかりの地に赴きたいと、車でシカゴからウィスコンシン大学を訪れた。グラウンドでは学生たちがアメリカンフットボールの練習をしていた。ロジャーズが最初に入学した農学部は、模様があしらわれた立派な建物だった。教授スタッフの簡単な紹介文からすると、心理学部には行動療法の教員が多いようだった。シカゴ大学やウィスコンシン大学にロジャーズやジェンドリンがいたのは30年ぐらい、あるいはそれ以上も前だから、しょせん想いをはせるだけだった。車でキャンパス内の高台に上ってみると、見晴らし台からの景色が素晴らしかった。瞬間、下方に広がる湖に無数の白鳥が優雅に浮かぶのが見えた。しかし、よく見ると、白いヨットだった。実に印象的だった。アメリカの変化は大変速いが、はるか下の白鳥はほとんど動かなかった。今でもあのシーンがなぜか浮かんでくる。