<コラム12> 2012.2
村久保 雅孝
この10年ほど、僕はマラソンやトライアスロンを楽しんでいる。僕の誘いにのって一緒にはじめたり、一所懸命に応援に精を出してくれる仲間も増えた。参加することにも応援にも、そこに身も心もじっくりとおくことで、なるほどと納得できる意味を感得する経験ができた。その意味の一つが「現在進行形の達成感」である。
なぜマラソンやトライアスロンといった“過酷な”ことにチャレンジするのか。参加者や完走者の話に多いのは「完走したときの達成感」である。たしかに、ゴールは嬉しい。何か成し遂げた感じがないわけでもない。しかし、僕はいまひとつ、ゴールの達成感に納得がいかなかった。特に、宮古島のトライアスロン(海を3Km泳ぎ、自転車で155Kmを疾走し、その後で42,195Kmを、半ば歩くように走る)を13時間半ほどで完走したとき、僕に安堵感はあったが、ゴールの達成感は、なかった。新鮮な驚きは、自転車をこいでいるときに湧いてきた。やりたいと思っていたトライアスロンを、今、自分がやっている。このときの感覚は満足感や充実感という言葉では言い尽くせない感じであった。トライアスロンのステージに立つという目標は、今まさに自分が動いているこの瞬間に達成されているのである。僕は、これを「現在進行形の達成感」と呼んでいる。ゴールに至るプロセスが目標であり、ゴールはご褒美のような気分なのだ。
僕の中では、この感覚が、エンカウンター・グループで体験する感覚に重なっている。時間が来れば、セッションやそのグループは終わる。そのときに何らかのまとまりや落ち着きのいい感覚があるにこしたことはないし、そうあるようにBeにもDoにも精進する。しかし、そういった結果のために今があるわけではなく、誠実に今を積み重ねていくことが、何らかの終わりの姿を示してくれると思う。誠実にといっても、僕なりのプロセスでしか在りようはないのだが・・・。それでもやはり素敵なご褒美は欲しいから、「現在進行形の達成感」の感覚をたよりに、これからもエンカウンター・グループの場にいられたらと思う。