<コラム47> 2024.04

ささやかな未来への希望としてのエンカウンターグループ

水野行範

 20代の時から、40年を超えて、さまざまなエンカウンターグループを経験してきた。

見ず知らずの人間同士が狭い部屋に集まり、決められたテーマもなく、「自由にすごしてください。話したいことがあったら話してください。」とファシリテーター役のスタッフから言われる。「ただし、暴力的な発言や行動は慎んでください」と付け加えられる場合もある。

 相手がどのような人かもわからない。テーマも決められていない。寄る辺ない不安感の中でグループが始まる。

「自己紹介から始めませんか」と勇気を出して口火を切ると、「自己紹介をしたくない」と何度もグループ経験がありそうな参加者から応酬される。

何を言っていいかわからない、話したところでわかってくれるだろうか。わかろうとしてくれるだろうか、「気まずい沈黙」が続く。

 やがて、意を決した参加者が、ふだん気にかかっていることや自分の抱えている問題を語りはじめ、それに応じてやり取りがなされていく。

 時に、意見や感情の対立があらわになることもある。それでも、話し手の世界に入り込み、その感じを感じ、よって立つ価値観を理解しようとすると、反発や嫌悪感が、微妙に、時に劇的に変化する。深いところでの共感が生まれることもある。「傾聴の沈黙」とでも名付けたい静寂がおとずれる。

 終わりのセッションの「安らぎの沈黙」。最初の、知らないもの同士の「気まずい沈黙」とは異なり、それぞれの参加者の存在への慈しみのような、安らかで、穏やかな空気に満たされる。エンカウンターグループは不思議な体験である。 見ず知らずの人間が、わずか3日か4日ほど時間と場所を共有し、対話を重ねていく中で「よそよそしい他人」が「共に生きる仲間」に変わっていく。

 エンカウンターグループをはじめたカール・ロジャーズは、エンカウンターグループを「20世紀最大の発明のひとつ」と自賛していた。

 動物も人間も狭い空間に押し込められて長時間過ごすと攻撃性が増すことはよく知られている。学校のいじめも「狭い教室空間の中で、ホームルームの一員としての強制的な枠付から暴力性が生じている」とホームルーム解体を唱える社会学者もいる。

 いじめのみならず、パワーハラスメントやリンチなども、逃げ場のない閉塞した空間で起こりがちだ。根と空間も広いようで閉塞している。

 エンカウンターグループは閉塞空間の暴力性への挑戦とも言える。

 戦争は、国家の命令に従って、見ず知らずの相手を「敵」として殺傷する。多くを殺傷すれば英雄とされる。それに対して、エンカウンターグループは見ず知らずの相手と深い共感でつながっていくプロセスである。体験過程という人もいる。

「私たちはロシアを、そのアフガニスタン侵略、およびポーランドへの軍事独裁政権への加担のゆえに強く非難している。私たちは彼らの行動に対する制裁としていかなる交渉も拒否すると脅している。ロシアの行為は残念なことではあるが、我が国自身のベトナム、チリ、エルサルバドルでの行為を照らし合わせて、私たちはもっと謙虚にそれらを見るべきである」

「私たちはロシアの人々と対話する必要がある。彼らの視点を理解する努力が必要である。彼らが私たちの視点を理解する手助けをする必要がある。彼らとの対話を持つ必要があるのである」(カール・ロジャーズ「一心理学者、核戦争をこう見る」1982 ロジャーズ選集下 誠信書房)

 

 親ソ政権支援のために1979年、アフガニスタンにソ連が侵攻し、1980年代初頭に、米ソの間で、中距離核ミサイルの配備を巡って対立が激化した時のロジャーズのことばである。ソ連のアフガニスタン駐留はこのあと10年間続き、1991年のソ連崩壊につながっていった。

 昨年(2022年)2月に、ロシア軍がウクライナに侵攻し、戦争が今も続いている。東ウクライナのロシア系住民が抑圧されていたこととウクライナのNATO接近に安全保障上の危機感をロシアが持ったことが背景にある。戦争直後は停戦交渉の機運もあったが、欧米によるウクライナへの軍事支援もあって2年が過ぎても戦争は続いている。

 戦争が長引けば長引くほど、多数の民衆が殺傷され、軍需産業が荒稼ぎをする。指導者は生き延びる。軍事費を引き上げるのでなく、外交的努力を重ね、交流のための予算を増やすことで緊張の緩和を図るべきだ。

 ロジャーズは次のようにも言っている。

「もしも、相争っている当事者たちが、同じ部屋で顔を合わせようとする意志を持ち、お互いに話し合おうとさえするならば、十中八九、より良い理解とより建設的な行動へ向かうステップが確実に起こってくる―もしも、そこで表現される、多様で敵意と恐怖に満ちた態度を理解し、受け容れることのできる熟練したファシリテーターが存在するならば」(同上)

 ロジャーズ自身、心理療法やエンカウンターグループの実践を踏まえて、国際間の緊張緩和と戦争の減少をめざしてピースプロジェクトを立ちあげ、70代から80代にかけて、アイルランドや南アフリカ、中央アジア、ソビエト連邦などに精力的に足を運び、グループのファシリテーターとして参加している。

 ロジャーズが生きていたら間違いなくロシアとウクライナ、そしてイスラエルとハマスとの間の対話を呼びかけるはずである。ロジャーズの意思を受け継いだマーシャル・ローゼンバーグは様々な対立と紛争が渦巻く現場に飛び込んでいった。対立する感情に共感しながらも、対話を通して、双方の対立の底に流れるニーズ(ほんとうに欲していること)まで下りていき、対立や紛争の解決を図ろうとしてきた。その経験をもとにして、非暴力コミュニケーション(NVC)の哲学と方法を広めていった。

 ユダヤ人でもあるローゼンバーグがパレスチナのアラブ人の難民キャンプを訪問した場面は印象的である。米国を非難する言葉に耳を傾け、その感情とほっしていることを理解しようと対話を重ねていった。

「対話はそれからも続き、彼はさらに29分近くにわたり自分の苦痛を述べ、私はその主張の背後にある感情と彼が必要としているものに意識を集中した。賛成も反論もしなかった。ただ彼の言葉を受けとめた。攻撃として受けとめるのではなく、彼の心の奥底からの訴えとして、彼には手の打ちようのない状況をわたしに伝えようとする言葉として受けとめた。…私を人殺しと呼んだ人物は、1時間後、私を自宅に招待し、ラマダンの夕食を共にとろうと誘ってくれた。(マーシャル・B・ローゼンバーグ「NVC人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版」2012年 日本経済新聞社)

 20代の頃から、世直しには社会制度と人間関係の両方の変革が必要だと考えてきた自分にとってもローゼンバーグの考えと実践にはとても魅力的だ。

 

 さて、グループは旅になぞらえることもできる。

 違う場所で生まれ、それぞれの人生を生きてきた見知らぬ同士が、たまたま出会い、数日間、時間と空間を共有する旅に出かける。自分が年とったせいか、グループの中で不思議な感覚にとらわれることがある。

このグループにいる人々が、人類最後に残されたもの同士として、ともに同じ宇宙船で飛行しているとしたら...その時は、互いの発言にもっと耳を傾け、わかろうとするのではないか。その理解が誤解の上に成り立っていたとしても、それぞれの人格を尊重し、共存しようとするのではないか。

 エンカウンターグループの中で、異質な他者に耳を傾け、対話を交わしながら、共に生きていくささやかな実践を積み重ねることが、世界から戦争をなくし、人類が生き延びていく道につながっていくと信じている。