<コラム18> 2014.1
大築 明生
私は、カウンセリングで来談者の話を、「この人は、どんな状況をどんな思いで生きてきた人なのだろう」という気持ちで聴いています。それはクライエントが生きてきた流れとも言えますが、それが、しみじみとした響きで私の心に届いてきた時、「ああそうだったのか」と、その人への親しみに似た感情が湧いてきます。それは、「生きることは苦しみや悲しみを伴う」という現実(と私は思います)への共感のように思えるのです。
カウンセラーの駆け出しのころは、「来談者の抱える問題や悩みを解決してやらねば」と思い込み、問題への対応の仕方やアドバイスの中身を必死に勉強していました。しかし実際には、「解決できる問題」などごく限られているし、アドバイスが正論的・批判的な響きで伝わり、相手に自責の念や孤立感を抱かせてしまうことも多いのです。そして臨床体験や自分が悩みを抱えて苦しんだ体験から、深い悩みを抱える人は、「話をしっかり聴いて自分をわかってほしい」と願っていることがわかってきました。
悩みや苦しみが解決できなくても、「自分をわかろうとする人」の存在を感じられれば、人は本来有している生きるたくましさを徐々に取り戻していきます。そして私が今思うことは、「自分がそれをされたら安心するだろうか」という援助される側の視点を忘れずに、対人援助の姿勢や技法をより深く学び身に着けたいことです。
こうした私の思いは、エンカウンターグループ体験も土台になっていると思います。ファシリテーター駆け出しのころは、「よいグループにしなくちゃ」と考え、実際には何が大事なのかもわからずもがいていました。今は、グループ全体の流れを見守ろうとする思いは当然ありますが、それ以上に、参加者一人一人の発言にていねいに耳を傾け、グループに漂う雰囲気を味わおうとしている自分がいます。それは、カウンセリングで私がしていることと同じであり、私がどこか安心して人と接していられる姿勢なのです。