<コラム19> 2014.3
坂中 正義
「レ・ミゼラブル」というミュージカルがあります。私の大好きな作品です。このミュージカルは、服役していた主人公ジャン・ヴァルジャンが、司教の慈悲により改心し、その後、様々な苦難の中でも、自身を偽らずに歩んでいく人生を描いています。また、バルジャンの人生と交わる様々な個性的な人物の人生も描いています。このミュージカルの魅力は様々な登場人物の人生を描いているところであり、それぞれの登場人物が私に何かを訴えてきます。
私にとってのエンカウンター・グループの魅力について振り返ると「静座観群妙」という言葉が思い出されます。これは武者小路実篤の作品で、かぼちゃやピーマンなどいくつかの野菜が描かれているところにこの言葉が添えられています。作品全体で「いろんな形をした野菜があるが、それぞれの妙を静かに座って観る」といったことを表しています。これは、エンカウンター・グループでメンバーの様々な体験を聴かせていただくことで、そのメンバーのありように触れさせていただけるという、私にとってのエンカウンター・グループの魅力を端的に表しているように思います。
この2つのエピソードを紹介したのは、「聴く」ということの聴き手のとっての積極的な意味を表現できたらなという思いからです。カウンセリングでは「聴く」ことは援助の基本であり、かつ到達点でもあるといわれるくらい大切にしていますが、それは相手の援助という意味合いにおいてであり、聴き手のとってのそれではありません。しかし「聴く」ことは、聴き手自身にとっても大きな意味があると思うのです。
他者の人生に触れること、他者の体験を聴くことは、他者の理解にとどまらず、そのことによって、聴き手自身も自分のこころの様々な側面に光を当て、自分を確認したり、自己理解を深める契機になります。
他者に耳を傾けることは、自身に耳を傾けることにつながります。
他者と対話することは、自己と対話することにつながります。
「レ・ミゼラブル」の様々な登場人物に触れる中で、私は自分自身の中のそれらの人物なるものを発見し、また、それらとは異なる自分を確認します。エンカウンター・グループでのメンバーの体験に触れる中で、私はその人らしさを感じさせていただくと共に、自分らしさにも目が向いていきます。
語ることによる自己理解はよく語られることですが、聴くことによる自己理解ということにも耳を傾けたい。私にとってのエンカウンター・グループの魅力はまさにこの点が大きいと思っています。