<コラム28> 2017.6
村田 進
人間中心の教育研究会のパンフレットに、私らしく人間らしくということばが載っているが、私は、そのことばから、家族療法やナラティヴ・セラピーの思想的な根拠となっているオートポイエーシスの考えを思い出した。それは、カエルの網膜の色彩反応が、必ずしも個体間で同一ではないという神経生理学的なエヴィデンスから、個体の経験が「内に閉じ、外に開かれて自己創出する位相」と定義されている。
このオートポイエーシスの考えを標語に応用し、「私らしく」を「内」に、「人間らしく」を「外」に仮定して、体験過程から見てみたい。
ロジャーズは、すでに人間有機体の位相から、「内」なる自己概念と「外」なる有機体経験が乖離している関係を「自己不一致」の図で表している。また、ジェンドリンは、プロセスモデルをつくり、「外」なる生起(occurrence) が「内」なる暗在(implying)に逢着して体験過程が推進する様相を図によって表している。
私は、有馬研修会のインタレスト・グループで、創作体験を企画・実施してきた。そして、『灯台へ』の枠づけによる創作によって、創作体験者は、「内」なる私と「外」なる行為とそのすじ(context、行動文脈、ジェンドリン)に従って作品を書きながらに体験過程を推進し、ふっきれて心理的に回復・成長してゆくと同時に、そのようにして出来上がった創作作品をグループで発表し、互いにフィードバックしながらメンバーは、相互に、その凝集性を高めて「内」と「外」が一致してゆくのを見てきた。
このように見てくると、「私らしく、人間らしく」の標語は、体験過程をよく反映していることがわかるのである。私は、この語をハンドル語(handle、ジェンドリン)として、「他のもろもろのことと関与してゆき」、“真の”私となり人間となってゆきたい。
参考文献:筆者(2016)『ふっきれて今ここに生きるー創作体験と心理的成長の中心過程について』コスモス・ライブラリー.