<コラム31> 2019.7
松本大輝
私のグループとの出会いは自らが望んだものではありませんでした。
初めてのグループとの出会いは、大学生の時です。
不登校に関心のあった私は、大学では不登校生徒のグループ・アプローチを専門とする先生に師事しました。
私としてはあくまで不登校支援を学びたいのであって、グループは「おまけ」でした。
「おまけ」ではあるものの、不登校の子どもたちと共に過ごしながら、グループを学んでいきました。
大学院に入ると、グループ・アプローチのスタッフ研修として、エンカウンターグループを体験することになります。
これが私のエンカウンターグループとの出会いでした。
エンカウンターグループとの出会いもまた望んだものではなく、スタッフ研修としてやむなく参加したものでした。
今でも、研修に向かう道中で一緒に参加する同級生との会話を覚えています。
「2泊3日も何を話すの?」
「そんなに話続かないでしょ」
「誰か泣きだしたりするのかな?」
決してエンカウンターグループにポジティブな思いを抱いての参加ではなかったことを良く覚えています。
それでもエンカウンターグループ体験は私にとって強烈な体験でした。
人が真剣に語り合うということがどういうことなのか、人が人を大事にするとはどういうことなのか。
エンカウンターグループを体験して、初めてその一端を見ることができたという思いを抱きました。
望んでグループを始めたわけでもないのに、なぜこんなにグループを続けているのか、自分でも考えることがあります。
その時、その時で、ただグループにかかわろうと思う何かがあった。それが続いただけなのだろうと思っています。そして、今グループにかかわろうと思うのは、社会生活の中で人間と出会いにくい感覚がありながらも、グループでは人間と出会うことができる、そういう感覚があるからだろうと思っています。