<コラム42> 2021.12
遺族のためのサポートグループの卒業とOB会
広瀬 寛子
私は、1999年からがんで家族を亡くした人たちを対象に月2回のペースでサポートグループを行っています。きっかけは、緩和ケアの仕事に従事するようになって、遺族のグリーフケアの必要性を実感したことです。がん患者のためのサポートグループの実践経験があり、それを元に遺族のサポートグループを企画することにしました。サポートグループを行うときの私を支えてくれているものは、もちろんエンカウンターグループで培ってきたファシリテーターとしての姿勢です。
遺族のサポートグループは、一人で悲しみを抱え込まずに同じ悲しみをもつ仲間と出会い、思いや感情を語り合い、分かち合うことによって、共に悲嘆からの回復への道を歩んでいくことを大切にするグループです。悲嘆からの回復といっても、元の状態に戻ることではありません。亡くなった人はもう戻ってきません。ここでの回復とは、新たな環境に適応していくことを意味しています。
このグループでは“卒業”をもうけています。いつまでもこの場に留まるのではなく、ここをステップとして新しい生き方に向かっていくことが必要ではないかと考えたからです。
卒業の時期はその人自身が「ここがなくてもなんとかやっていける」と思えたときです。1年かかる人もいれば2年3年、あるいは5年以上かかる人もいます。もちろん完全に元気になったと感じて卒業するわけではありません。悲しみは消えるものではありません。それでもまあまあ、そこそこ、なんとかやっていけるかなというところで卒業を決意します。その卒業を後押ししてくれるものがOB会の存在です。
OB会は参加者からの要望で生まれました。今は2ヶ月に1回のペースで行っています。OB会では日常生活や社会情勢の話題などが楽しげに語られ、和気藹々としています。私たちも遺族のサポートグループと異なり、役割からもより自由になり、親密感を感じています。
それでも、雑談が続く中で、ふと「俳優のあの人、死んじゃったね、膵臓がんだったんだね…」、「今年は七回忌。また色々思い出すようになって、ちょっと落ち込んでいて…」など、他では話せないつぶやきが聞こえてくると、OB会の意味に触れる気がします。参加者の感想文には「故郷に帰れたような暖かい気持ちになる」、「親元に帰れたようで嬉しい」、「楽しいひとときを過ごせた」、「みんなに会えるだけでほっとする」などと記載されています。OB会は居場所というよりクラス会のようなイメージでしょうか。最近は、この後に有志で飲み会に行くことが恒例になっています。わざわざお金を払ってOB会に出なくても、最初から飲み会に行けばいいのにと思ったこともありますが、“まずは実家に集まって”というところが大切なのでしょうか。
あれほど打ちひしがれていた人たちが元気になっていく、しかもそれは悲しみを背負いながらであり、その姿に感動させられます。人間へのそしてグループへの信頼と畏敬の念を感じずにはいられません。今後も大切にしていきたいグループです。
このコラムは、人間関係研究会監修(2020)『エンカウンター・グループの新展開 自己理解を深め他者とつながるパーソンセンタード・アプローチ』 第Ⅳ部 一人ひとりの物語―パーソンセンタード・アプローチの声をつむぐ.木立の文庫、p74-75より転載しました。