<コラム43> 2022.07
心の湯船、心の産湯
小原 昌之
最近、人は誰も自分の心の湯船に浸っているというモデルを考えて、自らの湯船を循環式沸かし湯から源泉掛け流し温泉の状態にしておくための工夫やら養生法などを案出しているところでした。当会に入会し初めてのコラム執筆依頼があり、何を書こうかと考えている最中に、ふと自分のエンカウンターグループ体験の最初の湯船はどこにあったのか。言わば、エンカウンターグループの産湯はどこで体験したのであったか、追想する機会が得られました。ありがたいことです。
それは1982年の初夏の頃。茨城カウンセリングセンターの前身の人間関係研究所のエンカウンターグループ体験が私の産湯でした。関東の嵐山と呼ばれる茨城県御前山の国民宿舎が会場でした。那珂川を渡る薫風と赤い橋と緑の小高い山が見える気持ちの良い景色は今だに鮮明に記憶されています。グループ体験そのものがそれらの自然の風景に溶け込んでいくものでした。そこから私の臨床が始まったのです。
また、1986年の人間性心理学会第5回大阪大会で発表予定の前日、宿の和室で畠瀬稔・直子夫妻を中心に当時の人間関係研究会の方々が車座になって歓談されていた時の、なんとも言えない和やかでくつろいだ雰囲気はいまだに忘れられません。初めて学会で発表するという前日の緊張を根っこからほぐしてくれた場の雰囲気でした。その感覚は、時空を越えて、懐かしさの気分と共に、今に残っています。まるで幼児の私が、親しい間柄の親戚や地域の叔父さん叔母さんに囲まれて、心からの安心を体験した過去と同じクオリアを持ち、地続きの記憶として繋がっているものでした。
2000年代に茨城いのちの電話の方々と自主研修とただの遊びの境界が曖昧な集いを県北の里や
小さな滝が点在している場所の山荘で年2回ほど行っていました。この集いもエンカウンターグループなのでした。気功の練習やワークをしつつ、バーベキューや湯巡り、山の散策をしつつ
自由に語りあっておりました。山荘内で夕餉の用意をしている時に、年配の女性陣に甘えて、リビングでうたた寝をしている時に、トントントンと野菜を刻む心地よい包丁の音と、そこにいる方々の歓談の声が、とてもとても心地よく、まるで自分が安心しきった幼児になった気分になれたのでした。(ここでも幼心!)
2011年4月。当時の勤務先の病院から医療チームのメンバーとして、福島県相馬市の避難所に行った時のことです。「もう津波のことを話すことはしたくない。いろいろなところから支援に来てくれるのはありがたいけれど、その度に、同じことを話さなくてはならなくて。」そう言ってくれた避難者の方の言葉をチームでしっかりと分かち合いました。私は「よく眠れるリラクセーションの方法があるのでご関心ある方はどうぞ」と提案しましたら、小さな会場は満員盛況でした。セルフケアの気功や動作法などを提供しつつ、ほとんどは、なんでもないお茶飲み話に身を委ねました。私の方がその場にいらした方の優しい雰囲気に癒され、心地よい気分になったことが不思議な思いと共に記憶に残っています。
グループのプロセスに身をゆだねることと、心地よい湯船につかっている感覚は似ています。
エンカウンターグループは個々の湯船の境界はありながら、いつしか交流、循環すると、源泉掛け流しの大露天風呂のごとく、場から湧いてくる浩然の気の力が広がっていくことが不思議であり、面白く、魅力的です。さまざまな臨床の領域をめぐって、昨年、エンカウンターグループの故郷のような職場に帰還した私は、幼なごころを守り、活かしながら、また新たな源泉掛け流しのグループを創出したり、発見したり、繋がりあっていく活動を続けていきたいと思っています。